金光教阿倍野教会

阿倍野教会の歴史

大正13年1月
中央:初代教会長 伊藤徳次師
左:二代教会長 伊藤コウ師
右:御母堂 はる刀自
大正13年5月11日
吉野通の教会門前にて
左:初代教会長 伊藤徳次師
右:二代教会長 伊藤コウ師

伊藤家の信心は、二代教会長・伊藤コウ師と両親・伊藤房次郎氏、伊藤ハル氏(ご隠居さん)が京都では中立売教会(なかだちうりきょうかい)に、大阪に出て来られてからは、難波教会に参拝しておられたことに始まります。

大正13年1月
中央:初代教会長 伊藤徳次師
左:二代教会長 伊藤コウ師
右:御母堂 はる刀自
大正13年5月11日
吉野通の教会門前にて
左:初代教会長 伊藤徳次師
右:二代教会長 伊藤コウ師

コウ師13才の年の6月に肋膜・腹膜を病み、医者もさじを投げてしまったそのときに、夜昼なく看護に努められたハル氏は、懸命なる祈りを神様に捧げられました。
「生神金光大神様、天地金乃神様、この私のご無礼により、幼い子供がこんなに苦しんでおります。数々のご無礼、何卒お許し下さいまして、私の願いをお聞き届け下さいませ。今日までこの子を私の子供だと思っておりましたが、これは大きな間違いであったということを深く悟らせて頂きました。今日限り私の子供だとは思いません。ですから成長後も決して伊藤家の為には使いません。ただただ神様のご用にお使い頂けるような人間に育てさせて頂きますから、今一度、神様のおかげによりまして、生き永らえさせて頂きますように、どうかよろしくお願い致します。」
と夜通し祈り続けられました。

この祈りの前には、さしもの重い病気もおかげを頂いて、次第に回復し二週間の後には登校できるほど元気にならせて頂かれました。
 このときのお約束のとおり、23才になられた大正6年8月25日には、ご神縁(しんえん)を頂かれ、九州は甘木教会(あまぎきょうかい)に8年間ご修行をなさった池田徳次師と結婚され、いよいよ大阪の地で布教をなさる準備が始まりました。
 徳次師は京都四条教会に約半年、大阪島之内教会に1年間ご修行に入られました。当時コウ師は泉尾第二尋常小学校に教鞭を執っておられました。

大正8年6月19日
大阪府東成郡天王寺村巴通で最初の布教をされることになる。
大正10年9月11日
吉野通に移る。
大正11年11月11日
開教記念祝祭奉行(ほうこう)。
大正12年8月
コウ師、小学校の教職を退かれる。
大正13年3月
コウ師、御本部修徳殿(現在の金光教学院)に入殿される。

徳次師は9月頃より体の調子を崩され、一時はあと3日という重体に陥られたこともありましたが、コウ師をはじめ、まわりの方々の篤いお祈りにより、もちなおされました。

大正14年06月01日
伊藤コウ師、副教会長拝命。
大正14年11月02日
大阪市住吉区晴明通1丁目52番地に教会新築用地購入。

新築用地に住宅と広前(ひろまえ)をお建てになることを急いでおられたのですが、ご無理にご無理が重なって、徳次師は体を弱められ、コウ師はその看病のかたわら、教会のご用や建築現場において一心に立ち働かれたのです。
 まさに「寝食を忘れて」という言葉がふさわしいほどに、ご尽力の結果、ついに徳次師が養生して頂ける住宅と仮広前が建ち、有り難い遷座祭(せんざさい)が仕えられました。
 しかし、初代教会長・伊藤徳次師はいよいよ衰弱され、32才という若さでこれからという時にお国替え(くにがえ)なさるのです。

大正15年3月29日
子供会々員御本部参拝
大正15年08月21日
仮広前に移転、遷座祭奉行。
大正15年10月28日
教会長伊藤徳次師、帰幽。

徳次師亡き後、建築委員は総辞職し、一切頼るものを失われたコウ師は、「この総辞職の連判状は家の宝にさせて頂き、神様にお礼を申そう」と、御神殿にお供えになって、人に、あるいは金に頼らず、神様におすがりして、どのような中でもおかげを頂き乗り越えて行こう、と受け切って行かれました。神様はその前向きな、ひたむきなお願いをお聞き届け下さり、借金なし、信者の方々に分担金なしで教会の広前の新築を完成なさったのです。

昭和12年
御結界奉仕の二代教会長
伊藤コウ師
昭和02年02月03日
伊藤コウ師、教会長拝命。
昭和02年11月11日
大阪市阿倍野区晴明通1丁目52番地に教会新築移転。
教祖大祭に併せて開教5年記念大祭。新築落成奉告祭奉行。
昭和04年09月25日
金光教阿倍野教会所に昇格。
昭和04年10月28日
初代教会長 伊藤徳次玉和真栄根彦霊神 建碑式。
昭和19年10月03日
伊藤良三師、副教会長を拝命。
昭和23年09月09日
宗教法人金光教阿倍野教会。
昭和32年07月10日
大阪市阿倍野区晴明通2丁目1番地に教会新築移転、遷座祭奉行。
昭和32年11月11日
教祖大祭に併せて開教35年記念大祭、新築落成奉告祭奉行。
昭和42年11月11日
北側新教場増築。
昭和43年05月10日
大阪市阿倍野区晴明通199番地の土地購入(南苑)
昭和44年07月10日
大阪市阿倍野区晴明通28番地の土地購入(東苑)
昭和44年10月28日
大阪市阿倍野区晴明通127番地の土地購入(西苑)
昭和46年04月07日
信奉者集会所・真栄根館起工式。
昭和46年05月21日
真栄根館上棟式。
昭和46年11月11日
真栄根館新築落成。
昭和47年11月11日
教祖大祭に併せて開教50年記念大祭奉行。
昭和51年06月29日
大阪市阿倍野区晴明通6番28号の土地購入。
昭和51年09月21日
北側境内地に広前拡張。
昭和52年11月11日
教祖大祭に併せて開教55年記念大祭奉行。

戦前・戦時中・戦後を通し、信奉者の為に身を呈してご神勤(しんきん)下されたコウ師は87才の歳をお迎えになり、体調を崩しておられましたが、5月11日春の御大祭に祭主としてお付きになり、御本部参拝をなさり、教主金光様にお届けをされました。
「伊藤さん、これからは体の好くようになさい。」
と、金光様は慰めのお声をかけて下さったのです。
「ありがとうございます。」
と、お礼を申され、お広前をしりぞかれたコウ師は、
「さあ、もうひと働きせないかん。」 
「ええっ?」
「体の好くようになさい、とみ教えを頂いたからな。私の一番好きなことは、ご用をさせて頂くことや。」
 このようにおっしゃって、わが心を励ましながらお帰りになられました。そうして、心元気に日々、ご用にお付きになっておられましたが、いよいよ天寿を全うされ、7月9日、霊様となられました。

昭和57年3月8日
みかげ会総会でご挨拶下さる
二代教会長 伊藤コウ師
昭和57年1月18日
教徒会総会で御教話中の
三代教会長 伊藤良三師
昭和57年07月01日
市道新設により北側正門新築。
昭和57年07月09日
二代教会長・伊藤コウ師、帰幽。
昭和57年07月22日
伊藤良三師、教会長拝命。
昭和57年11月11日
教祖大祭に併せて開教60年記念大祭奉行。
昭和58年07月09日
二代教会長 伊藤幸玉照真道映姫霊神 建碑式。
昭和62年11月11日
教祖大祭に併せて開教65年記念大祭奉行。
平成01年05月18日
北拝殿着工祈願祭。
平成01年07月18日
北拝殿上棟奉告祭。
平成01年11月11日
金光大神大祭に併せて北拝殿落成奉告祭奉行。
平成03年05月12日
東苑仮御結界及び教職舎着工祈願祭。
平成03年07月17日
東苑仮御結界及び教職舎上棟奉告祭。
平成03年10月28日
初代教会長例年祭に併せて竣工報告。
平成04年05月06日
伊藤徳一師、副教会長拝命。
平成04年11月11日
金光大神祭に併せて開教70年記念大祭奉行。
平成09年04月10日
大阪市阿倍野区晴明通31・32・33・40~3番地の土地購入契約。
平成09年04月22日
真清会館地鎮祭。
平成09年06月27日
真清会館上棟式。
平成09年11月07日
真清会館新築落成奉告祭。
平成09年11月11日
金光大神大祭に併せて開教75年記念大祭奉行。
平成10年03月02日
大阪市阿倍野区晴明通120・125番地購入。
西苑・境内地として整備。
平成12年11月11日
金光大神大祭に併せて真栄根館改修奉告。
平成14年02月21日
大阪市阿倍野区晴明通53番地購入。
平成14年03月14日
記念館東境内地地鎮祭。
平成14年07月30日
記念館東境内地竣工奉告祭。
平成14年11月11日
金光大神大祭に併せて開教80年記念大祭奉行。
平成18年06月15日
教会広前耐震補強工事完成。
平成19年05月14日
大阪市阿倍野区晴明通185番地購入。
平成19年06月
第二南苑駐車場として整備完成。
平成19年11月11日
金光大神大祭に併せて開教85年記念大祭奉行。
平成20年02月22日
三代教会長 伊藤良三師、帰幽。
平成20年03月11日
伊藤徳一師、教会長拝命。
平成21年02月11日
三代教会長 伊藤良三清玉道継根大人霊神 建碑式。
平成22年01月09日
信奉者納骨殿完成奉告祭。
平成24年11月11日
金光大神大祭に併せて開教90年記念大祭奉行。
平成26年03月31日
教会広前会堂・屋根葺替工事竣工。
平成26年04月30日
記念館銅屋根葺替・耐震工事竣工。
平成29年11月11日
金光大神大祭に併せて開教95年記念大祭奉行。
令和01年10月31日
真栄根館・屋根葺替・外壁改修工事竣工。
令和04年11月11日
金光大神大祭に併せて開教百年記念大祭奉行。